Edit comment Name Title E-mail Website 球団サイトで背番号の変遷を見ることができます。それには、球団が 発足した翌年1935年(昭和10年)、スタルヒン投手が背番号18を 付けていました。でもこの1年間だけで、翌年から17に変わっています。 その翌年’36年(昭和11年)から2年間、ここからは敬称を略させて 頂きます、前川八郎、 ’39年(昭和14年)から3年間と’46年(昭和21年)途中?から11年間を中尾輝三 (途中が抜けているのは戦争の影響でしょうか?) ’46年(昭和21年)の僅かな期間?、近藤貞雄 ’58年(昭和33年)から8年間、藤田元司 ’67年(昭和42年)から17年間、堀内恒夫(V9の時代が含まれています) ’86年(昭和61年)から20年間、桑田真澄 と、薫さんが言われている通り、7人の選手となります。 ちなみに1桁と2桁の背番号の中で、背負った選手の一番少ない番号は、16番で 川上哲治・水野忠彦の2名だけです。言わずと知れた永久欠番です。 球団創設時の’34年(昭和9年)と、戦争末期の’44年(昭和19年)は番号が ありませんでした。もっとも昔のユニフォームは、背番号ではなく、袖番号でした。 いつ頃から背番号18番がエースナンバーと呼ばれるようになったか、定かでは ありませんが、杉内投手、私もその姿を見るのを楽しみにしています。 骨折事件、その当事者が杉内さんだったんですね。記憶に残っています。 1つ前の記事、「おバカ」なんて薫さんらしからぬ、下品な単語を使っているな、と 思ったら、イチロー選手の言葉だったんですね。ほっともっとフィールド神戸で、イチロー 選手と共に、汗を流している川崎選手の映像、テレビで観ました。 ほっともっとフィールド、きれいな球場と聞いています。まだ行ったことがないので、 試合を見に行きたいのですが、その機会がありません。今年もオープン戦・交流戦とも 巨人戦の日程はありませんでした。 そのさら1つ前、Rabbitsのお話しですが、笑わせていただきました。 「おおきな背中」ですね。実際はもやしっ子、と呼ばれていましたので、それとは ちょっと違います。きっとその場面でしたら、薫さんをお姫様抱っこだったと思います。 でも非力な私には、ファウルラインを跨いだ辺りで、グラウンドに落としてしまったと 思います。 何だか恐ろしい位に活躍していますね。これで今年の運の全てを使って しまったのでは無いかと、少々心配しています。「長打力が自慢」、「意外な俊足」、 まあ、そういう事にしておきましょう・・・。 サイクルヒット、一番出づらいと言われている3塁打、実際に3打席廻って 残るはシングルヒットのみ、その可能性を信じて見ていた事もありますが、 これがなかなかでないんですよね。 この次の展開、私の活躍ぶり、期待せずにお待ちしています。 Password 管理者にだけ表示を許可する