Edit comment Name Title E-mail Website 今は亡き祖父母から、戦争の話を聞いたことがあります。 祖父は実際に戦争に行っています。土産にシラミとたばこを吸う 事を覚えてきた、と言っていました。 私は高校の修学旅行で初めて広島に行きました。でもその時の 印象は残っていません。 社会人になってから、自分で行った広島、この時の事は良く覚えて います。メインは広島市民球場での試合観戦でした。私が広島に 行く前日、落雷で停電し、照明が消えて試合が中断してしまいました。 私が行った日は、球場に着いてお弁当を食べながら、守備練習を 見ていると、いきなり豪雨となって、中止となってしまいました。 傘を持たずに来てしまったので、濡れながら広島駅まで行き、そこで ビニル傘を買い、ホテルに戻りました。 おまけにこの時は、カメラを忘れてしまって、携帯のカメラと、現地で 買った使い捨てカメラで写真を撮ってました。 広島市民球場、路面電車の最寄りの停留所は、「原爆ドーム前」で あったと思います。その時に見学した平和記念資料館、一番印象に 残っているのは、サビだらけの三輪車と戦闘帽(ヘルメット)です。 自宅の庭で遊んでいた、小さなお子さんが原爆の犠牲となり、 その庭に埋葬したそうです。寂しくないようにと、いつも被って 遊んでいた戦闘帽と三輪車も一緒に埋めたそうです。 その後、遺体はお墓に埋葬し直されたそうですが、一緒に 掘り起こされたサビだらけの戦闘帽と三輪車、資料館に寄贈された との事でした。 直撃された人は、訳が分からないまま亡くなったと思いますが、 そうではなく、大やけどをした人、放射能を含んだ黒い雨に当たって 被爆した人など、数多くの人は、その後の生活の中で、偏見や 差別などで苦労をされたのではないでしょうか?その方達から すると、一言に戦後という言葉では、済まされないと思います。 やけどを負い、亡くなるまで真夏でも半袖を着ることが出来なかった、 というお話を伺った事もあります。原爆の被害者なのに、どうして 差別を受けなくてはならないのか?という投稿も、テレビで 紹介されていました。 忘れてはいけない戦争の事、お婆さまにはいつまでも元気で 生活されていただきたいと願っています。孫は子供以上に可愛い、 と言いますから、薫さんの事も、お逢いしたときは可愛がって くれるのではないでしょうか? 薫さん、マイペースが一番ですので、焦らず気負いせずに・・・。 更新楽しみにしています。 Password 管理者にだけ表示を許可する