Ball Parkに住むウサギ

野球ブログです♪
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最後の挑戦 「最終章」

ブログを再開しましたものの
いつ辞めるか分からないわがままブログですので
<Ball Park・1>で書いた記事の中から
こちらに残し、記録しておきたい記事を
野球のことを書かない日に少しずつUPさせていただきます。

第1回目はずっと応援してきたアンナミラーズ「最後の挑戦」です!




ビーチフットボールチーム・横浜アンナミラーズ
2011年 7月30、31日の2日間
聖地平塚で20年目の夏
最後の戦いに挑み、見事に散りました!

(2回戦の相手がなんと昨年の優勝チーム
やはり最後までくじ運はなかったのです~)


その4日前、私からチームメンバーの皆さんにメッセージを届けたときのものです。



横浜アンナミラーズ・主務様

カウントダウンも片手で指折れる数字になりましたね。
期間限定で始められたブログ
(もちろん今では期間限定の文字が外れることは誰もが承知していますよ)

【海風が強く吹いている】
そのタイトルの由来を考えた時
やはりしっかりと読んでいなくてはと、<しをん>さんの本を手に取りました。


東京箱根間往復大学駅伝競走
大手町をスタート~品川~鶴見~戸塚から平塚
地名を見ているだけで
ビーチフットボーラー達の聖地・平塚へ
アンナミラーズのメンバーが20年間通い続けてきた
東海道線が思い浮かんできます。


謙遜して「アンナミラーズに“ハイジ”はいない」と言われたけど
あなたは、まさに“ハイジ”そのものですね。
美味しい食事を目の前に出し、新入部員を言葉巧みに勧誘するテクニックは
主務が上かハイジが上手か甲乙つけ難く
大丈夫でなくとも「大丈夫だ」と、奇妙な安心感を部員に与え続ける度量の広さも
私には同じ匂いしか感じられないのです。

この作品が世に出たのは2006年ですから
1992年創部のアンナミラーズ主務の方が元祖であると確信しています。



寛政大陸上部が目指したもの、それは「強くなること」ではなかったでしょうか。
確かに「速く」走ることを目標にしてはいたけど
ハイジはいつも部員達に言っていましたね、

「長距離選手に対する一番の褒め言葉
それは速いではなく『強い』ことだ」って。

天候や展開、体調、自分自身の精神状態
苦しい局面でも粘って身体を前に運ぶ「強さ」を誉にして毎日走り続けろと。

駅伝という競技を描いていきながら
すべてのスポーツ、もっと大きく言えば人生にも当てはめていたような気がします。
たんに風が吹くのではなく
【風が強く吹いている】とした作者の想いはきっとそこにありますね。
そして主務がこの作品に惹かれブログタイトルにまでしたのも、もしかしたら・・。




1992年、アンナミラーズ創部以来20年間
選手として
いつもどんな時にも、全ての公式戦・練習試合に出場し続け
主務としても
練習スケジュールを立て、毎年当たり前のように関東大会へのエントリーを手続きし
細かな雑事の全てをこなしてきましたね。
「自分で始めたのだから、」というのは簡単です。

でも、1年や2年、5年10年でもなく何と言っても20年間です!
誰にでも出来る事ではありません。
気を使っていないように見せながらもメンバーの一人一人にそれとなく気配りし
アンナミラーズの芯となり、今日まで頑張ってこられたことと想像しています。


なにより、20年前のあの日
品川駅前のアンナミラーズでのあなたの熱意がなければ
仲間達との素敵な出会いも、大切に育んできた想い出も残せなかったと思います。
夏が来るたび、湘南の海風を感じながら平塚の砂浜で楕円のボールを追い
チームメイト以外にも
名前や勤め先を知らなくても
一年ぶりの再会を喜び合えるビーチの友人達と過ごすひととき
全てがあなたとアンナミラーズメンバーの皆さんの宝物ですね。

楽しい時ばかりではなく、辛かったことも落ち込んだ時も
もういいかな・・と思った日もきっとあったことでしょう。
でも、20年間やり続けてきました。

そんなあなたの強さを、私は応援者として誇りに思います。
最後の夏を思いっきり楽しんで下さいね。
ビーチで出会ったすべての人とあなた自身のために。




清原様
シェイプアップした身体はずっと保たれていますか?
大台(?)にも乗ろうかという体脂肪率を短期間に絞った努力は凄いです!
20年間、嬉しい時も悔しい時も主務と共に歩んできた清原さんにとっても
いよいよ集大成の時がやってきましたね。

15年にプラス5年の区切りの良さ
(15と20では重みも違うし最後の5年間があったから今がある!)
チームの未来に繋がる力
それを主務に贈った清原さんの想いは素晴らしかったと私は思っています、

巨人時代、清原和博は家族の記念日には必ずホームランをプレゼントしていました。
今週末最後のゲーム
家族ではないけどあなたを心から応援しているBall Parkのウサギのために
気合の一発を魅せていただけませんか、
ウサギはきっと泣いて喜ぶと思います。



潤一様
カッコいいと評判の潤一さん

今年春のあの日
最終回、絶好のサヨナラ機を逃してしまった悔しさを晴らす時は今しかありません!
野球の無念はビーチで返してこそ、アンナミラーズメンバーの誇りです。
その輝きは秋の大会・バッターボックスで花開き
たとえ1度や2度の悪送球があろうとも
チームの勝利へとつながることでしょう~

活躍を心からお祈りしています。
(主務のブログだけが情報源の私、一つ覚えのようにこの話題ばかりでゴメンナサイ。
是非是非、華麗な活躍をし私のブログを華やかな話題で彩らせて下さいね!)



マリリン様
初めての平塚で悔し涙にくれたあの日から、もう18年

最年少だったマリリンさんも、日曜日のゲームにも出場できる歳になったのですね。
どんな想いが巡っていますか?
主務やメンバーの方達と過ごした年月は、
どこを切り取っても金太郎飴のように微笑んでしまうことばかりでしょう?
とってもステキで失くしたくないそんな想い出を持てる人は幸せですね。

今月、主務と観戦した東京ドームのドラゴンズ戦
お二人が目にしたのは美しいフラガールのダンスだけではないですよね?
ヨシノブとサブローの完璧なホームランをその目に焼き付けていますよね?

マリリンさんがお祈りを忘れてしまっても大丈夫なように
私は週末、自宅近くの観音様に手を合わせるつもりでいます。
どうぞ思う存分、アンナミラーズの勝利のために躍動して下さい!


この夏
主務と書かせていただいた3人の方以外に
どなたが参戦されるのか主務のブログからは確認できませんでした。
ですのでこんな形になりましたけれど
もちろん私は
アンナミラーズメンバーの皆さん全員に力いっぱいの声援を送っています!



2011年7月30日、そして31日
湘南ひらつかビーチパーク


20年前と変わらぬ潮の香り
でも「同じ風は吹かないんだ」と主務は言いましたね。
どんな色の風であっても、強く強く自分自身で吹かせて下さい。
きっと湘南の海風は
アンナミラーズの背中を温かく後押ししてくれるはずです。
そしてその海風を強く感じながら見えた頂点のこと
いつかきっと教えて下さいね。


横浜アンナミラーズ】20年目の夏、最後の挑戦

関東大会まであと4日、心から応援しています!<薫>




<8月14日追記>
すべての戦いを終え
万感胸に迫るものを堪えながら目を潤ませていた(多分!)主務の身体が
突然メンバーの手により宙に舞います~

しかし次の瞬間
主務の引き締まった身体は見事に湘南の青い海の中へと投げ込まれたのでした!
まだ肋骨亀裂骨折も癒えていなかったのに
新たに内転筋も損傷していたのに・・・。


横浜アンナミラーズの挑戦はまだまだ終わりません~
なぜ?
それはヴィンテージミラー達の熱い想いが後輩達に受け継がれていくから
そして主務が
「燃え尽きた白い灰」状態から復活しそうな気配を密かに漂わせ始めたから。

果たして私達は
2012年、7月最終週
主務の勇姿を
聖地平塚の砂浜に見ることが出来るのでしょうか?
それは誰にも分かりません、多分主務自身にも。

横浜アンナミラーズ 最後の挑戦「最終章」~ひとまず【完】
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最後の挑戦、完結編

6月18日 東京ドーム
巨人2-1西武

内海哲也がエースの貫禄を見せつけたゲームでした。
そのピッチングもさることながら
自ら執念の全力疾走内野安打で決勝点を叩き出し、
ラミレスのエラー(記録は三塁打)にも、ライアルの悪送球にもめげず
そんな時こそ抑えてやるという気迫をみせ、後続を断ち味方のエラーを庇います。

野手のエラーは
投手が無失点に切り抜けてくれたから帳消しというほど甘いものではなく
相手打順の巡りを考えながら投げている先発投手の計算を狂わせ
加えてエラーがあった為に増える10球、15球が
終盤のスタミナを奪ってしまうものです。
しかしそんなことはおくびにも出さず、堂々としたマウンド上での姿には
ジャイアンツのエースの風格を感じました。

最終回、最後のバッターのサードゴロを脇谷がファインプレー
内海の熱投に応えました。
あの甲子園でのプレー以来、まったく精彩がなく
脇谷はもう終わってしまうのではないかという気すらしていましたが
今日の最高のプレーをきっかけに
また彼らしい思い切りの良さが戻ることを願っています。
あの一つのプレーですべてが終わってしまうとしたら
それはあまりにも可哀相ですから。
ゲームセットの瞬間
マウンド上で脇谷を抱きしめる内海の姿は本当にカッコよく見えました!




さて、前文が長くなってしまいましたが
本日は横浜アンナミラーズ「最後の挑戦」の完結編をお届け致します。

超長文ですので、お時間のない方は再訪の上ご覧頂く方がよろしいかもしれません。
それでは~


「初勝利、主務の涙」

平塚で悔し涙にくれた日から5ヶ月
「4日だったら全員集まれるよな!」という冗談がホントになった松の内。

1995年1月4日

仕事始めの昼下がり、都心の公園
不揃いのジャージで楕円球を追うサラリーマン達の姿がありました。
「悲願の初勝利」へ、今年こその熱い想いを胸に
ジャイアンツの選手達の自主トレ開始よりも早く、アンナミラーズ4年目のスタートは切られました。

冬の間も市民マラソンなどに参加し、フィットネスを維持していたメンバー達
真夏の戦いに向けて、心身ともに充実!していたかどうかは分かりませんが
順調な春を経て

6月には越後湯沢で合宿
新潟に来たら温泉と日本酒でしょ?
などという甘い考えなどあろうはずがなく
静岡合宿での苦い(?)経験を糧とし、午前・午後の2部練習。

岩原スキー場のゲレンデで基本スキルを反復し徹底した走り込み
練習後もプールでトレーニング、さすがに夜は多少飲んだものの
早朝から主務にたたき起こされ、前夜何事もなかったかのような(何かあったのか?)猛練習。

6月~7月
週末は他チームとの練習試合のため平塚に通いつめる日々
晴れの日も、雨の日も、風の日も、暗くなるまで。
7月にはとてもサラリーマンとは思えないほどメンバー全員が
ジャイアンツ二軍選手のごとく真っ黒になっていました。


<ここで少しビーチフットボールのルールのお話>
全く詳しくない競技をしどろもどろに説明させていただきますので
もし間違っていたら、主務から訂正をお願い致します~

ラグビーとアメリカンフットボールをミックスしたようなスポーツと言われています。
5人対5人でプレイ
タックルの代わりであるタッチを5回されると攻守交替となります。
野球の3アウトチェンジが5アウトチェンジということですね。

その5回の攻撃権のうち
1度だけアメフトのようにフロントパス(ショルダーパスのみ)が出来ます。
決定的な瞬間でダイナミックなパスを繰り出す華やかなシーンを想像しますが
主務によれば、ラグビー経験者にとってどうもこのフロントパスには罪悪感があり馴染めないそうです。
あと4回はラグビーのように後ろにパスしなければいけません。
常にボールが先頭というラグビーの精神ですね!

試合時間は20分間
その中で等分な前後半が行われ、アンナミラーズが参加している関東大会の場合
6分ハーフで行われています(多分)

得点の形
タッチイン 3点 
いわばトライです。
守備側のインゴールゾーンにボールを持ち運ぶことでタッチインとなります。
あるいはフロントパスをインゴールゾーン内で捕球することによっても得点となります。

守備側のタッチと攻撃側のタッチイン同時の場合はタッチインとみなされます。
野球でも、走者の足と送球到達が同時の時はセーフになりますから「同じだ!」と思いました。

エキストラポイント 1点
タッチイン成功後にチャレンジするもの
得点方法は違いますがラグビーのコンバージョンと考えたらいいのかな。

エクスプロージョンポイント 2点
そのエキストラポイント獲得の為の攻撃中に守備側が攻撃側のパスをインターセプトした時に発生します。
これは攻撃側にとってはショックな失点となりますね。

その他のルールとして
アドバンテージを見る場面があったり、認定タッチインがあったり
反則のスローフォワード、ノックオンもあり
やはりラグビーの要素が色濃くあるのかなという印象です。

多分、真夏のビーチに足を運び実際に生で観戦してみると
ルールもよく理解できるだろうし、この競技の楽しさも満喫できるのだろうと思います。
でも、一番はきっと実際にコートに立ってプレイしてみることかもしれません。
数年前には女子選手による死闘が繰り広げられたそうですよ~


さて、横浜アンナミラーズ
第5回関東大会1週間前、いよいよ対戦相手が決まりました。
ラグビー経験者で、いかにも「SOかCTBやってました!」というような選手が何人かいる地元の社会人チームです。
相手が手強ければそれだけ倒し甲斐もあるというもの、ひるんではいられません。

1995年7月29日 大会当日
平塚に向かう東海道線の車内からすでに緊張感が漂っていました。

キャプテンの的場(仮名、以下すべて仮名・敬称略)は、窓の外を見ながら「勝ちてぇよな」とつぶやく。

藤沢あたりで誰かが言いいました。
「あれ、マリリン、観音様に手、合わせた?」
平塚への往復、電車の中から大船駅そばの丘の上にある大船観音に手を合わせることをマリリンは習慣としていたのです。
この年、練習試合でも好調なのとあれだけのハードな練習にもかかわらず怪我人がいないのは
そのお陰だとメンバーみなが信じていました。
「あ、忘れた!」
慌てふためくマリリンに主務は
「気にするな、このせいでもし負けても全員の努力が無駄になるだけだから大した事じゃない!」
「えぇ~そんなぁー」
決戦前のひととき、メンバー達の心を和ませるのもまた主務の重要な役目でした。


1月4日、一人一人が静かに闘志を燃やした日から7ヶ月
舞台は湘南ひらつかビーチパーク
海風を強く感じながら
キックオフ!


前半
前年に入部したラグビー未経験者がアタックでもディフェンスでも大活躍
潤一、マリリン、慎之助の3人で組むエキストラチームはタッチイン後の1点を確実に稼ぎ
日村(清水隆行バリの体脂肪率1ケタ台を誇る男)は快速を飛ばし何度もゲインラインを切った。
ラグビー経験者も手堅く連続攻撃を仕掛け相手のオフサイドを誘い、守備では渋く相手のスペースを消した。

ハーフタイム
いつもはまくし立てる主務も言うべきことはなかった
「大丈夫だ、絶対勝てる!」

後半
セーフティとはいえないリードを全員で必死に守った。
最後まで集中力を切らさず戦い、試合終了を告げるホーンが鳴る~

長い間力を合わせ努力してきたことが結実する瞬間
日常ではありえない感情の昂ぶり、清原が雄叫びを上げた
キャプテンの的場は重責を果たし息をつく
昨年この場所で、悔し涙を流した潤一の目には感涙が。

こんなマイナーなスポーツの地方大会の1回戦で
大の大人がこんなにも真剣なのが主務には可笑しくて心地よかった。

試合後の挨拶のために整列しようとしたその時
1年目から苦労をともにしてきた主務と清原の目が合った

主務の目に映る武闘派清原のいかつい顔は、少しだけぼやけていました。
そして、男・清原の熱き胸には
長渕剛のあの名曲が流れていたことは言うまでもありません~
もちろんこの日、湘南の浜辺には海風が強く強く吹いていました。


平塚からの帰路、勝利の女神は大船の丘の上から優しく微笑んで見守ってくれていたが
罰当たりのマリリンは感謝の祈りをまたもや忘れ、心地よい疲れとアルコールのせいで爆睡していた。


1996年~2005年 低迷期
「武闘派・清原の男気」

初勝利の翌年、主力選手の相次ぐ転勤により活動は一気に停滞
チームの力は下降線を描く

それでも7月の最後の土曜日だけは新潟、静岡、大阪などから集合し
関東大会への参加は続けていました。
94、95年シーズンの遺産でたまに勝つことはありましたが
この10年間、メンバーは基本的にほぼ変わらずきれいに平均年齢が10歳上がり
やがてそれぞれが家庭を持ち、自由になる時間も少なくなってきていた2006年。

15年目のシーズンに向けて主務はある思いを抱いていました。
基本的にゲームでは前後半出場していた主務でしたが
年齢を重ね体力の衰えを感じ始め、フル出場することが次第にきつくなっていたのです。
加えて、1年間通して他のことを犠牲にしてこのスポーツに懸けているチームと
「いやぁ、ボールに触るの1年ぶり」なんて言っているチームが
同じコートに立つのは申し訳ないという気持ちもあり
数字的にも区切りがいいし「15年目で解散かな」という思いが日増しに強くなっていった夏。

2006年 第16回大会
15回目の挑戦となるこの年
メンバーへの連絡メールにはさらっと、有終の美とか最後の大会とかいうフレーズが盛り込まれていました。

そして7月、平塚へ
感動の勝利で有終の美を、という期待も虚しく見せ場なくあっさり連敗。

打ち上げの席で、主務は今年で最後にする旨を淡々と語り
ほんとだったのかと驚く者、やっと解放されると胸をなでおろす者
その反応もさまざまでした。

主務の言葉をじっと黙って聞いていた清原がぼそり・・

「いいんですか?」

武闘派・清原の一言にみなの緊張が走る

「10何年もやってきて最後がアンナ試合でいいんですか?」
「悔しくないんですか?」
アンナ負け方してこのまま辞めちゃっていいんですか?」

「悔しくないンかッ!」

清原の剣幕にその場にいた全員が凍りつく、一人を除いて。
空気を読み切ったのか、まったく読んでいないのか慎之助の甲高い声がその場を支配する
「まぁまぁまぁ、お二人ともそんな怖い顔しないで~
飲みましょ、飲んで忘れましょ!
また来年頑張りましょ、はいカンパーイ~~~」
乾杯のあと
「最高でぇす!」
と、言ったかどうかはさだかではありません。


それからの3年間
1勝と1引き分けがあったものの、相変わらず見せ場のない試合が続く

しかし新入社員の入部という明るい話題もあり希望が見え始めた2010年

メンバー達はいつものように平塚駅南口から海へとつながる道を
「なんか知らないけど今年も来ちゃったなぁ」とか言いながら歩き
19年目の夏を迎えました。

初戦
8時30分キックオフ (第4コート)
先制のタッチイン3-0
幸先よくスタートするも
3-7 逆転負け

第2試合
0-0から延長へ
運命のサドンデス
惜敗・・・

6分ハーフx2試合
逆転負けと同点延長サドンデスでの負け
サドンデスはPKみたいなものと慰められても悔しさはつのるばかりでした。
この日の海風は強く吹いてくれていたのでしょうか?


2011年 
横浜アンナミラーズ、20年目のシーズン
最後の夏がもうすぐやってきます。

15年目のあの時
男・清原が発した一声は決して無駄ではありませんでした。


あの時、もしも終わりにしていたら
新しいチームメイトを迎えることもなかったでしょう。
アンナミラーズの未来を託す若手選手たちに
ミラーズ20年間の想いがいっぱいに詰まった「背中を残す」ことも
その「心」を伝えることも出来なかったに違いありません。


7月30日
いつものように平塚駅南口からビーチにつながる道を歩きながら
主務とヴィンテージミラー達の胸に浮かぶのはどんな場面でしょうか。

あの日あの時の悔し涙?

歓喜の初勝利を告げてくれたホーンの音?

バーベキューではしゃいだこと?
越後湯沢で飲んだ美味しいお酒のこと?

ハーフタイムの主務の怒鳴り声?


もちろん勝利で飾ってほしいけど
もうどちらでもいいと思う
20年間のすべてをぶつけて戦ったその先には
きっと
幸せの女神様の微笑みが待ってくれているはずだから



すべてを懸ける瞬間
関東大会まであと42日

頑張れ、【横浜アンナミラーズ】


「最後の挑戦・前編」は
コチラから




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最後の挑戦 (1)

1992年
あなたはいくつでしたか?

バルセロナオリンピック、200m平泳ぎであっと驚く金メダルを獲得し
「今まで生きてきた中で、一番幸せです!」
そう名文句を残した岩崎恭子さんは、まだあどけない14歳の女の子でした。

5月、陽光輝く地中海、モンテカルロ市街地コース
F1グランプリ中、最も華やかなモナコGPで
その年最強のマシン、ウィリアムズルノーを駆るのはナイジェル・マンセル
力の劣るマシンながらそのマンセルと互角に渡り合い
F1史上に残る名勝負を繰り広げたのはマクラーレンホンダのアイルトン・セナ
鮮やかなドライビングテクニックを魅せ
トップでチェッカーを受けたセナは
悲劇の事故の起こる2年前、32歳の春でした。


そんな1992年の初夏
一人のラガーマンの手により、ビーチフットボールチームが誕生しました。
当時「ビーチタッチフットボール」と呼ばれていたこの競技については
拙い記事ですがコチラ~歴史を書かせていただいています。

チームの主務となったラガーマンは社内のラグビー経験者数名と共に
7月、平塚ビーチパークでのデビュー戦に臨みます。
もしかしたら案外簡単に勝てるんじゃない?
そんな甘い予想は虚しく外れ初戦敗退。

「まぁ、最初からそう上手くはいかない」
なぜか練習試合でも本番でも、くじ運が悪く強いチームと当ってしまったのだ。
運がなかっただけ。
(そう、ジャイアンツで言えば澤村拓一のようなもの
実力はあるのに常に相手チームのエースと激突、
味方の援護無く不運な負け投手となってしまう巡り合わせの悪さ・・)

そう思った主務とチームは翌1993年、静岡で1泊2日の合宿を敢行
しかし練習時間はわずか
ほとんどをバーベキューとドライブと飲み会に費やし
なんのための合宿だったのか???
今度こそはと挑戦した2年目、またもや初戦敗退。

ここで主務は初めて気付いたのでした。
くじ運が悪かったのではなく
本当はチームが弱かったのだということに。


1994年、3年目の夏に向け
練習後の飲み会よりも練習にこそ力を入れなければ、と一念発起したメンバー達

この年、創設メンバーに加えラグビー経験はないものの
硬式野球部、サッカー部出身という非常に高い運動能力を備えた若手社員を
甘い言葉巧みにチームへと勧誘した主務。
熱のこもった練習が
勤務後の平日夜月明かりの下、行われるようにもなりました。

彼らに主務が技術と理論を教え込み
同じくラグビー経験者の関西出身・武闘派清原(仮名、現在減量中も体脂肪16~18%の間を行ったり来たりで停滞中)さんが〔闘魂こめて〕気合を注入!

激しい練習の中、膝の靭帯を伸ばしてしまう者
肩を脱臼する者まで現れ(ちなみに外れた関節をはめるのも主務の仕事)
老若男女が楽しく出来るビーチフットボールのはずが
ここは花園か秩父宮かと見紛うほど。

二人のラガーマンが引っ張る新チーム
「先発メンバーは誰なんだ」という競争意識まで出現。
(わがジャイアンツの外野手争い以上か?)
試合当日だけの助っ人を頼むことなく
数ヶ月間、汗と涙を共にした仲間だけで組んだチーム【純正アンナミラーズ】で
今年こそ勝てるぞ!の期待を胸に挑んだ夏。

惜敗・・

しかし、これまでのように手も足も出ない負けではなかった、頑張ったぞ!
サインプレーの“ナタデココ”(アンナミラーズだけに)は不発に終わったけど
とりあえずやってきたことは出せた、お疲れさん~
明日からサラリーマンに戻って、来年また頑張ろう~

けれど、そう明るく思ったのは主務だけ。

この年から参加したメンバー達は呆然と立ちすくんでいました。
目を真っ赤に充血させ頭を抱えるマリリン(仮名)さん。
潤一(仮名、悪送球が得意なショート・現野球部主将、先日のゲームではサヨナラのチャンスを生かせずガックリ!)さんは、試合の行われていたコートをいつまでも見つめていました。

そして、その目には光るものが・・

この日湘南の浜辺には、翌年の初勝利を予感させる海風が強く吹いていたのでした。

【横浜アンナミラーズ】20年目の夏、最後の挑戦(2)へ続きます。


頑張れ~横浜アンナミラーズ・主務ブログ
関東大会まであと46日!




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ビーチフットボール・1

砂浜で行うスポーツといえば
バレーボール選手達が転出することで有名なビーチバレーがすぐに思い浮かびますが
皆さんはビーチフットボールという競技のことをご存知ですか?


ビーチフットボール
この競技がいつどこで生まれ
どのようなルールの下に行われるものなのか
この夏のビッグイベントに向け勉強中の私です。

そこで、今日は第1回目
歴史を辿ってみました。

以下はすべて
国際ビーチフットボール協会(IBFA)のHPを参照させていただきました。


ビーチフットボール
最初にこの名前を聞いた時、単純に砂浜でやるサッカーなのかなと思いました。
でも、
砂浜でサッカーのようにボールを蹴りながらゲームをすることが出来るのだろうか?
という疑問がすぐに湧きますね。

そう、この競技は同じフットボールでもラグビーに近いものなのです。



1990年
明治大学ラグビー部・OBの若狭平和氏(現IBFA副会長)が
日本発祥のビーチスポーツとして
前身のビーチタッチフットボールを考案し具現化したことに始まり
翌1991年、「日本ビーチタッチフットボール協会」が設立されました。
同年、第1回大会が湘南ひらつかビーチパークで開催され本格的に活動を開始。

そしてそして、1992年の第2回大会より
かの有名なYAMBFTが参戦したわけですね!



タッチラグビーとアメリカンフットボールを足して2で割ったようなスポーツ
と説明がありますが、そもそもタッチラグビーって何?と思いますよね。
タッチラグビーはラグビーで用いられるタックルを、より安全な「タッチ」に置き換え
身体の接触のない安全なスポーツとして知られています。

元々はオーストラリアのラグビー選手達のウォーミングアップ用として始められたとされ
現在ではW杯なども行われており、競技人口もかなりの拡がりをみせているようです。

そのタッチラグビーを基本に、アメフトのような面白さを加え
転んだりしても怪我をしない砂浜で
さらに安全なスポーツとして老若男女、誰もが楽しくプレーできるように考案されたのが
ビーチフットボールです。



1993年には団体名を「国際ビーチフットボール協会」と改め
競技名もビーチタッチフットボールから<ビーチフットボール>となりました。

1999年、各地域名をつけていた大会名称を<“JAPAN SERIES”+西暦>に改称


2002年からは毎年、大会スローガン(でよいのでしょうか?)が付けられているので
紹介しますと

2002年 
「Love is Real」~真実~
2003年 
「Chang the World」~変える~
2004年
「One and Only」~唯一~
2005年
「Strong Will」~強い意志~
2006年
「SHARE」~分かち合う~
2007年
「Link Up」~絆~
2008年
「OVER COME」~乗り越える~
2009年
「Que Sera Sera」~何とかなるさ~
2010年
「Power Base」~力の源~

となっています。

我がジャイアンツの今シーズンのスローガンは「結束」ですが
ビーチフットボール大会でも毎年素晴らしい言葉が選ばれていますね。

しかし、なんといっても2009年の「何とかなるさ」は異彩を放っています~
あとはすべて
いかにもラグビーの香りのする、格調高いものが並ぶだけにちょっぴり笑えます。

いきなり、「ケ・セラ・セラ」ってどうしたんでしょう~~面白いですねぇ。


今年は大きな出来事があった年
さて、どのような素敵なテーマが選ばれるのでしょうか。
ちょっと興味深いです。


ビーチフットボール競技の最大の目標は
日本発祥のビーチスポーツとして、日本国内に留まらず
世界により広く、より深く根付かせていくことにあり
国境や言語の壁を越え、世界中とコミュニケーションできるこのスポーツを
一人でも多くの方に愛されるものに高め、ひいては
日本を代表するビーチスポーツとして確立していきたいということにあるそうです。


「まずは知ることから始めよ」
ということは、何事においても言われることですが
簡単にではありますが歴史を知りました。

次回は、「ルールを知ろう」ということで
またまた、しどろもどろな記事が復活する予定です~




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