Ball Parkに住むウサギ

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タッチに込めた想い

萩原智子さんのことを覚えていますか?

2000年のシドニーオリンピック
当時20歳だった「ハギトモ」さんは
彗星のごとく現れた日本女子水泳界のホープでした。

メダルを期待され挑んだ200メートル背泳ぎ決勝
2分11秒21
わずかにメダルに届かず4位に終わりました。

このとき3位に入ったのは同僚の中尾美樹選手
中尾選手のタイムは、2分11秒05

その差は100分の16秒でした。

100分の16秒がどのくらいの瞬間か
くどくど言うまでもありませんが瞬きも出来ないほどの一瞬ですね。


オリンピックでの3位と4位
天と地の差があると言ってもいいかもしれません。
瞬きの一瞬、まさにタッチの差でこぼれ落ちてしまった銅メダル。

涙の中で、それでも笑顔で中尾選手を祝福する智子さんの姿が印象的でした。


あれから12年
さまざまな苦難を乗り越え
二度目のオリンピックを目指し臨んだ全日本選手権

ロンドンオリンピック代表選考会を兼ねるその大会
智子さんにとって最後のレースとなった50メートル決勝が行われたのは4月8日でした。
奇しくもちょうど一年前の4月8日は
彼女が大きな病に直面し手術を受けたその日だったのです。



振り返ればシドニー五輪後、2002年の日本選手権では
100メートル自由形、200メートル自由形、200メートル背泳ぎ、200メートル個人メドレーの個人4冠に輝いています。

しかしその後2004年に引退。

転機は2008年に訪れます。
スポーツキャスターとして取材側に立ち観戦した北京五輪の開会式

「もう一度やるんだ、私は泳ぎたい!」
そう思った開会式の翌日にはもう選手としての目線で競技を見つめていたそうです。


2009年
5年ぶりに競技に復帰
20歳だった彼女はすでに29歳となっていました。

アスリートの競技年齢、特に競泳の場合ピークは10代後半と言われますね。
最近では練習方法や体力向上から年々競技年齢も高くなり
20代後半の選手でも自己記録を更新するなど年齢だけでは計れないものも確かにあります。

しかし、ブランクのある彼女が大きな舞台で戦えるようになるには
並大抵の努力では叶わないであろうことは想像できますね。

きっとそこにはひたむきな努力があり
流した汗や涙も決して少なくはなかったと思います。


復帰の翌年には早くも日本代表チームに復活。
アジア大会の400メートルフリーリレーで日本新記録
ワールドカップ東京大会の50メートル自由形(短水路)では
永らく破られていなかった日本新記録を12年ぶりに更新しました。

誰もがその復活劇を賞賛し喜んだ2011年病魔が襲ったのです。

子宮内膜症と卵巣のう腫を発症。
良性とはいえ女性にとっては辛い病名です。
彼女は急遽日本選手権への出場を取りやめ、手術を受けました。

そして、一人でも多くの人がこの病気の早期発見をしてほしい
救われてほしいという思いから
病名を公表し多くの女性に早期検診を呼びかけたそうです。

そのことが報道された時のことを私もよく覚えています。
頑張っていたのにもう引退するのかな・・と感じていました。


しかし彼女はあきらめませんでした。

「私、もう一回、泳ぎます」と決意。
再びロンドン五輪を目指した闘いが始まりました。

けれど、長いブランクを経て復活した前回よりも更に厳しい現実が・・

手術によって、腹筋も背筋もこれまで積み上げてきたものはゼロに戻りました。
そこからもう一度気持ちを入れ、身体を作り直しオリンピック出場に懸けたのです。

通常であれば普通に泳ぐことすら難しいと言われる手術後そう間を置かず練習復帰。
ホルモン剤の投与の影響でまともに練習できないこともあった数ヶ月を経て

薬の副作用に悩まされながらも
不屈の闘志を持ち
2月の短水路日本選手権で日本新記録を更新。


そして4月
運命の五輪選考会、日本選手権がやってきました。


4月6日の100メートル、決勝8位・・・

それでも彼女はあきらめません。
翌日・翌々日の50メートルにすべてを懸けました。


皆さんはこのレースをご覧になりましたか?
好スタートから前半途中まではトップ
最後の最後まであきらめず
「ロンドンに行きたい!」その夢を叶えるために全力を出し切りました。

わずか25秒
50メートルのレースは一度しか息継ぎをしません。
ゴールタッチの瞬間、激しく水しぶきが上がり
みんながほとんど同時にゴールしたようにさえ見えました。

しかし無情にも順位がつけられ
電光掲示板の智子さんの位置は上から5番目、
オリンピックの夢は叶いませんでした。


レース後、彼女の指にはアザができていたそうですね。

水中に設置するゴールのタッチ板の表面には水の圧力を吸収する小さな穴があいていて
激しくタッチした勢いで指にその跡がつきアザを作ってしまったのだそうです。


12年前、わずか100分の16秒差で届かなかった銅メダルへのタッチ。
長いブランクも病魔も乗り越えて
今、もう一度あの舞台に立ちたいという想いを込めて
アザが出来るほどの強いタッチをした萩原智子さんの想いに目頭が熱くなります。


復帰レースからわずか8カ月。
コーチは「あと3カ月あったら、絶対に絶対に間に合ったのに」
と無念さを隠さなかったそうです。


選考会を終えて彼女はブログにこう記しています。
「諦めないで泳いできて良かった。
最高の舞台で、一発勝負にチャレンジ出来る幸せ。
応援してもらえる喜び。
すべての気持ちを込めて泳ぎました。

50mのレース、私の精一杯を出し切りました。
この一年、本当に充実していたし、濃密でした。

私が、元気にスタート台へ立ち、真剣勝負出来たのは支えて励ましてくれた皆さんのおかげ。
最後の最後まで、私を信じて応援して下さった皆さん・・・
本当にありがとうございました!」



日本選手権最終日
選ばれた選手を代表して松田丈志選手のスピーチがありました。

「オリンピックに出たくても出られなかった選手もいます。
その選手の気持ちも全部、僕たちがロンドンに持って行きます!」


智子さんの想いも連れて行ってもらえますね。


アマチュアに引退はないと言う彼女
これからも
引退するつもりもないし、大好きな水泳を続けていく予定だそうです。
その理由は
「だって・・・泳ぐのが楽しいんだもん!」


次の夢
「ママになること」に向かって頑張る智子さん
可愛い赤ちゃんをその胸に抱く日がきっと来ますように!
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