FC2ブログ

Ball Parkに住むウサギ

野球ブログです♪
Posted by   13 comments

最後の挑戦 (1)

1992年
あなたはいくつでしたか?

バルセロナオリンピック、200m平泳ぎであっと驚く金メダルを獲得し
「今まで生きてきた中で、一番幸せです!」
そう名文句を残した岩崎恭子さんは、まだあどけない14歳の女の子でした。

5月、陽光輝く地中海、モンテカルロ市街地コース
F1グランプリ中、最も華やかなモナコGPで
その年最強のマシン、ウィリアムズルノーを駆るのはナイジェル・マンセル
力の劣るマシンながらそのマンセルと互角に渡り合い
F1史上に残る名勝負を繰り広げたのはマクラーレンホンダのアイルトン・セナ
鮮やかなドライビングテクニックを魅せ
トップでチェッカーを受けたセナは
悲劇の事故の起こる2年前、32歳の春でした。


そんな1992年の初夏
一人のラガーマンの手により、ビーチフットボールチームが誕生しました。
当時「ビーチタッチフットボール」と呼ばれていたこの競技については
拙い記事ですがコチラ~歴史を書かせていただいています。

チームの主務となったラガーマンは社内のラグビー経験者数名と共に
7月、平塚ビーチパークでのデビュー戦に臨みます。
もしかしたら案外簡単に勝てるんじゃない?
そんな甘い予想は虚しく外れ初戦敗退。

「まぁ、最初からそう上手くはいかない」
なぜか練習試合でも本番でも、くじ運が悪く強いチームと当ってしまったのだ。
運がなかっただけ。
(そう、ジャイアンツで言えば澤村拓一のようなもの
実力はあるのに常に相手チームのエースと激突、
味方の援護無く不運な負け投手となってしまう巡り合わせの悪さ・・)

そう思った主務とチームは翌1993年、静岡で1泊2日の合宿を敢行
しかし練習時間はわずか
ほとんどをバーベキューとドライブと飲み会に費やし
なんのための合宿だったのか???
今度こそはと挑戦した2年目、またもや初戦敗退。

ここで主務は初めて気付いたのでした。
くじ運が悪かったのではなく
本当はチームが弱かったのだということに。


1994年、3年目の夏に向け
練習後の飲み会よりも練習にこそ力を入れなければ、と一念発起したメンバー達

この年、創設メンバーに加えラグビー経験はないものの
硬式野球部、サッカー部出身という非常に高い運動能力を備えた若手社員を
甘い言葉巧みにチームへと勧誘した主務。
熱のこもった練習が
勤務後の平日夜月明かりの下、行われるようにもなりました。

彼らに主務が技術と理論を教え込み
同じくラグビー経験者の関西出身・武闘派清原(仮名、現在減量中も体脂肪16~18%の間を行ったり来たりで停滞中)さんが〔闘魂こめて〕気合を注入!

激しい練習の中、膝の靭帯を伸ばしてしまう者
肩を脱臼する者まで現れ(ちなみに外れた関節をはめるのも主務の仕事)
老若男女が楽しく出来るビーチフットボールのはずが
ここは花園か秩父宮かと見紛うほど。

二人のラガーマンが引っ張る新チーム
「先発メンバーは誰なんだ」という競争意識まで出現。
(わがジャイアンツの外野手争い以上か?)
試合当日だけの助っ人を頼むことなく
数ヶ月間、汗と涙を共にした仲間だけで組んだチーム【純正アンナミラーズ】で
今年こそ勝てるぞ!の期待を胸に挑んだ夏。

惜敗・・

しかし、これまでのように手も足も出ない負けではなかった、頑張ったぞ!
サインプレーの“ナタデココ”(アンナミラーズだけに)は不発に終わったけど
とりあえずやってきたことは出せた、お疲れさん~
明日からサラリーマンに戻って、来年また頑張ろう~

けれど、そう明るく思ったのは主務だけ。

この年から参加したメンバー達は呆然と立ちすくんでいました。
目を真っ赤に充血させ頭を抱えるマリリン(仮名)さん。
潤一(仮名、悪送球が得意なショート・現野球部主将、先日のゲームではサヨナラのチャンスを生かせずガックリ!)さんは、試合の行われていたコートをいつまでも見つめていました。

そして、その目には光るものが・・

この日湘南の浜辺には、翌年の初勝利を予感させる海風が強く吹いていたのでした。

【横浜アンナミラーズ】20年目の夏、最後の挑戦(2)へ続きます。


頑張れ~横浜アンナミラーズ・主務ブログ
関東大会まであと46日!




スポンサーサイト