FC2ブログ

Ball Parkに住むウサギ

野球ブログです♪
Posted by   14 comments

最後の挑戦、完結編

6月18日 東京ドーム
巨人2-1西武

内海哲也がエースの貫禄を見せつけたゲームでした。
そのピッチングもさることながら
自ら執念の全力疾走内野安打で決勝点を叩き出し、
ラミレスのエラー(記録は三塁打)にも、ライアルの悪送球にもめげず
そんな時こそ抑えてやるという気迫をみせ、後続を断ち味方のエラーを庇います。

野手のエラーは
投手が無失点に切り抜けてくれたから帳消しというほど甘いものではなく
相手打順の巡りを考えながら投げている先発投手の計算を狂わせ
加えてエラーがあった為に増える10球、15球が
終盤のスタミナを奪ってしまうものです。
しかしそんなことはおくびにも出さず、堂々としたマウンド上での姿には
ジャイアンツのエースの風格を感じました。

最終回、最後のバッターのサードゴロを脇谷がファインプレー
内海の熱投に応えました。
あの甲子園でのプレー以来、まったく精彩がなく
脇谷はもう終わってしまうのではないかという気すらしていましたが
今日の最高のプレーをきっかけに
また彼らしい思い切りの良さが戻ることを願っています。
あの一つのプレーですべてが終わってしまうとしたら
それはあまりにも可哀相ですから。
ゲームセットの瞬間
マウンド上で脇谷を抱きしめる内海の姿は本当にカッコよく見えました!




さて、前文が長くなってしまいましたが
本日は横浜アンナミラーズ「最後の挑戦」の完結編をお届け致します。

超長文ですので、お時間のない方は再訪の上ご覧頂く方がよろしいかもしれません。
それでは~


「初勝利、主務の涙」

平塚で悔し涙にくれた日から5ヶ月
「4日だったら全員集まれるよな!」という冗談がホントになった松の内。

1995年1月4日

仕事始めの昼下がり、都心の公園
不揃いのジャージで楕円球を追うサラリーマン達の姿がありました。
「悲願の初勝利」へ、今年こその熱い想いを胸に
ジャイアンツの選手達の自主トレ開始よりも早く、アンナミラーズ4年目のスタートは切られました。

冬の間も市民マラソンなどに参加し、フィットネスを維持していたメンバー達
真夏の戦いに向けて、心身ともに充実!していたかどうかは分かりませんが
順調な春を経て

6月には越後湯沢で合宿
新潟に来たら温泉と日本酒でしょ?
などという甘い考えなどあろうはずがなく
静岡合宿での苦い(?)経験を糧とし、午前・午後の2部練習。

岩原スキー場のゲレンデで基本スキルを反復し徹底した走り込み
練習後もプールでトレーニング、さすがに夜は多少飲んだものの
早朝から主務にたたき起こされ、前夜何事もなかったかのような(何かあったのか?)猛練習。

6月~7月
週末は他チームとの練習試合のため平塚に通いつめる日々
晴れの日も、雨の日も、風の日も、暗くなるまで。
7月にはとてもサラリーマンとは思えないほどメンバー全員が
ジャイアンツ二軍選手のごとく真っ黒になっていました。


<ここで少しビーチフットボールのルールのお話>
全く詳しくない競技をしどろもどろに説明させていただきますので
もし間違っていたら、主務から訂正をお願い致します~

ラグビーとアメリカンフットボールをミックスしたようなスポーツと言われています。
5人対5人でプレイ
タックルの代わりであるタッチを5回されると攻守交替となります。
野球の3アウトチェンジが5アウトチェンジということですね。

その5回の攻撃権のうち
1度だけアメフトのようにフロントパス(ショルダーパスのみ)が出来ます。
決定的な瞬間でダイナミックなパスを繰り出す華やかなシーンを想像しますが
主務によれば、ラグビー経験者にとってどうもこのフロントパスには罪悪感があり馴染めないそうです。
あと4回はラグビーのように後ろにパスしなければいけません。
常にボールが先頭というラグビーの精神ですね!

試合時間は20分間
その中で等分な前後半が行われ、アンナミラーズが参加している関東大会の場合
6分ハーフで行われています(多分)

得点の形
タッチイン 3点 
いわばトライです。
守備側のインゴールゾーンにボールを持ち運ぶことでタッチインとなります。
あるいはフロントパスをインゴールゾーン内で捕球することによっても得点となります。

守備側のタッチと攻撃側のタッチイン同時の場合はタッチインとみなされます。
野球でも、走者の足と送球到達が同時の時はセーフになりますから「同じだ!」と思いました。

エキストラポイント 1点
タッチイン成功後にチャレンジするもの
得点方法は違いますがラグビーのコンバージョンと考えたらいいのかな。

エクスプロージョンポイント 2点
そのエキストラポイント獲得の為の攻撃中に守備側が攻撃側のパスをインターセプトした時に発生します。
これは攻撃側にとってはショックな失点となりますね。

その他のルールとして
アドバンテージを見る場面があったり、認定タッチインがあったり
反則のスローフォワード、ノックオンもあり
やはりラグビーの要素が色濃くあるのかなという印象です。

多分、真夏のビーチに足を運び実際に生で観戦してみると
ルールもよく理解できるだろうし、この競技の楽しさも満喫できるのだろうと思います。
でも、一番はきっと実際にコートに立ってプレイしてみることかもしれません。
数年前には女子選手による死闘が繰り広げられたそうですよ~


さて、横浜アンナミラーズ
第5回関東大会1週間前、いよいよ対戦相手が決まりました。
ラグビー経験者で、いかにも「SOかCTBやってました!」というような選手が何人かいる地元の社会人チームです。
相手が手強ければそれだけ倒し甲斐もあるというもの、ひるんではいられません。

1995年7月29日 大会当日
平塚に向かう東海道線の車内からすでに緊張感が漂っていました。

キャプテンの的場(仮名、以下すべて仮名・敬称略)は、窓の外を見ながら「勝ちてぇよな」とつぶやく。

藤沢あたりで誰かが言いいました。
「あれ、マリリン、観音様に手、合わせた?」
平塚への往復、電車の中から大船駅そばの丘の上にある大船観音に手を合わせることをマリリンは習慣としていたのです。
この年、練習試合でも好調なのとあれだけのハードな練習にもかかわらず怪我人がいないのは
そのお陰だとメンバーみなが信じていました。
「あ、忘れた!」
慌てふためくマリリンに主務は
「気にするな、このせいでもし負けても全員の努力が無駄になるだけだから大した事じゃない!」
「えぇ~そんなぁー」
決戦前のひととき、メンバー達の心を和ませるのもまた主務の重要な役目でした。


1月4日、一人一人が静かに闘志を燃やした日から7ヶ月
舞台は湘南ひらつかビーチパーク
海風を強く感じながら
キックオフ!


前半
前年に入部したラグビー未経験者がアタックでもディフェンスでも大活躍
潤一、マリリン、慎之助の3人で組むエキストラチームはタッチイン後の1点を確実に稼ぎ
日村(清水隆行バリの体脂肪率1ケタ台を誇る男)は快速を飛ばし何度もゲインラインを切った。
ラグビー経験者も手堅く連続攻撃を仕掛け相手のオフサイドを誘い、守備では渋く相手のスペースを消した。

ハーフタイム
いつもはまくし立てる主務も言うべきことはなかった
「大丈夫だ、絶対勝てる!」

後半
セーフティとはいえないリードを全員で必死に守った。
最後まで集中力を切らさず戦い、試合終了を告げるホーンが鳴る~

長い間力を合わせ努力してきたことが結実する瞬間
日常ではありえない感情の昂ぶり、清原が雄叫びを上げた
キャプテンの的場は重責を果たし息をつく
昨年この場所で、悔し涙を流した潤一の目には感涙が。

こんなマイナーなスポーツの地方大会の1回戦で
大の大人がこんなにも真剣なのが主務には可笑しくて心地よかった。

試合後の挨拶のために整列しようとしたその時
1年目から苦労をともにしてきた主務と清原の目が合った

主務の目に映る武闘派清原のいかつい顔は、少しだけぼやけていました。
そして、男・清原の熱き胸には
長渕剛のあの名曲が流れていたことは言うまでもありません~
もちろんこの日、湘南の浜辺には海風が強く強く吹いていました。


平塚からの帰路、勝利の女神は大船の丘の上から優しく微笑んで見守ってくれていたが
罰当たりのマリリンは感謝の祈りをまたもや忘れ、心地よい疲れとアルコールのせいで爆睡していた。


1996年~2005年 低迷期
「武闘派・清原の男気」

初勝利の翌年、主力選手の相次ぐ転勤により活動は一気に停滞
チームの力は下降線を描く

それでも7月の最後の土曜日だけは新潟、静岡、大阪などから集合し
関東大会への参加は続けていました。
94、95年シーズンの遺産でたまに勝つことはありましたが
この10年間、メンバーは基本的にほぼ変わらずきれいに平均年齢が10歳上がり
やがてそれぞれが家庭を持ち、自由になる時間も少なくなってきていた2006年。

15年目のシーズンに向けて主務はある思いを抱いていました。
基本的にゲームでは前後半出場していた主務でしたが
年齢を重ね体力の衰えを感じ始め、フル出場することが次第にきつくなっていたのです。
加えて、1年間通して他のことを犠牲にしてこのスポーツに懸けているチームと
「いやぁ、ボールに触るの1年ぶり」なんて言っているチームが
同じコートに立つのは申し訳ないという気持ちもあり
数字的にも区切りがいいし「15年目で解散かな」という思いが日増しに強くなっていった夏。

2006年 第16回大会
15回目の挑戦となるこの年
メンバーへの連絡メールにはさらっと、有終の美とか最後の大会とかいうフレーズが盛り込まれていました。

そして7月、平塚へ
感動の勝利で有終の美を、という期待も虚しく見せ場なくあっさり連敗。

打ち上げの席で、主務は今年で最後にする旨を淡々と語り
ほんとだったのかと驚く者、やっと解放されると胸をなでおろす者
その反応もさまざまでした。

主務の言葉をじっと黙って聞いていた清原がぼそり・・

「いいんですか?」

武闘派・清原の一言にみなの緊張が走る

「10何年もやってきて最後がアンナ試合でいいんですか?」
「悔しくないんですか?」
アンナ負け方してこのまま辞めちゃっていいんですか?」

「悔しくないンかッ!」

清原の剣幕にその場にいた全員が凍りつく、一人を除いて。
空気を読み切ったのか、まったく読んでいないのか慎之助の甲高い声がその場を支配する
「まぁまぁまぁ、お二人ともそんな怖い顔しないで~
飲みましょ、飲んで忘れましょ!
また来年頑張りましょ、はいカンパーイ~~~」
乾杯のあと
「最高でぇす!」
と、言ったかどうかはさだかではありません。


それからの3年間
1勝と1引き分けがあったものの、相変わらず見せ場のない試合が続く

しかし新入社員の入部という明るい話題もあり希望が見え始めた2010年

メンバー達はいつものように平塚駅南口から海へとつながる道を
「なんか知らないけど今年も来ちゃったなぁ」とか言いながら歩き
19年目の夏を迎えました。

初戦
8時30分キックオフ (第4コート)
先制のタッチイン3-0
幸先よくスタートするも
3-7 逆転負け

第2試合
0-0から延長へ
運命のサドンデス
惜敗・・・

6分ハーフx2試合
逆転負けと同点延長サドンデスでの負け
サドンデスはPKみたいなものと慰められても悔しさはつのるばかりでした。
この日の海風は強く吹いてくれていたのでしょうか?


2011年 
横浜アンナミラーズ、20年目のシーズン
最後の夏がもうすぐやってきます。

15年目のあの時
男・清原が発した一声は決して無駄ではありませんでした。


あの時、もしも終わりにしていたら
新しいチームメイトを迎えることもなかったでしょう。
アンナミラーズの未来を託す若手選手たちに
ミラーズ20年間の想いがいっぱいに詰まった「背中を残す」ことも
その「心」を伝えることも出来なかったに違いありません。


7月30日
いつものように平塚駅南口からビーチにつながる道を歩きながら
主務とヴィンテージミラー達の胸に浮かぶのはどんな場面でしょうか。

あの日あの時の悔し涙?

歓喜の初勝利を告げてくれたホーンの音?

バーベキューではしゃいだこと?
越後湯沢で飲んだ美味しいお酒のこと?

ハーフタイムの主務の怒鳴り声?


もちろん勝利で飾ってほしいけど
もうどちらでもいいと思う
20年間のすべてをぶつけて戦ったその先には
きっと
幸せの女神様の微笑みが待ってくれているはずだから



すべてを懸ける瞬間
関東大会まであと42日

頑張れ、【横浜アンナミラーズ】


「最後の挑戦・前編」は
コチラから




スポンサーサイト